国鉄時代の頃は大都市を走る通勤・近郊電車は国電と呼ばれており、分割民営化後JR東日本の管轄となった路線はE電と呼ばれるようになりました。

大々的にネーミングされたが、浸透せずいつの間にか聞かれなくなりました。結局のところそのままJR線又は単にJRや路線名で呼ばれるようになり、現在は勝沼ぶどう郷駅等一部の駅を除いてE電の表記は消されてしまい、事実上の死語となりました。

普及に失敗した原因は諸説あるようですが、どうやらEにマイナスイメージ(例としてエラー等)があるのが影響していると言われております。しかしE351系以降の自社所有車両は頭にEを冠しているので実際のところは不明です。とはいえマイナスイメージが強いと言われるEですが、言い換えればE電→良い電車にも繋がるので普及せず死語になってしまったことが悔やまれます。

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